アイルランド その13 ジャガイモ飢饉

アイルランドのジャガイモ飢饉(Great Famine)は、1845年から1852年にかけて全土を襲った未曾有の災厄です。単なる自然災害ではなく、当時の政治的、社会的な構造が被害を甚大にした「人災」であったといわれています。当時、アイルランドの人口の大部分を占めていた貧困層は、生活のほぼすべてをジャガイモに依存していました。ジャガイモは狭い土地でも収穫量が多く栄養価も高かったのです。

 1845年にジャガイモを一夜にして腐らせるジャガイモ疫病菌がヨーロッパ全土に広がり、アイルランドの作物は壊滅的な打撃を受けました。栽培されていたのが「ワイト・ランパー」として知られていた品種で、植えたジャガイモ1つに対して20個、30個、あるいは40個ものイモが収穫できたのです。ですが単一品種だったため多様性がなく、病気に抵抗できる株がなかったのです。

 被害を拡大させた社会的要因にことです。そこには当時のイギリスによる支配が深く関わっています。 飢饉の最中でも、アイルランドで作られた小麦や家畜は、アイルランドに住まずに利益だけ取るイギリス人地主の手によってイギリス本国へ輸出され続けました。当時のイギリス政府は「市場に介入すべきではない」という方針をとり、積極的な食料援助を渋りました。

 特に英国政府の財務次官であったチャールズ・トレヴェリアン (CharlesTrevelyan) は、教条的な自由放任政策をアイルランドに押し付けて大飢饉の被害を悪化させた張本人として糾弾されました。トレビリアンは、この飢饉を「過剰な人口を減らすための神の意志」と見なすような冷淡な態度をとったといわれます。

 大飢饉発生から数年間で、アイルランドの社会構造は根底から覆されます。そして悲劇的な結末と影響が襲います。餓死やチフス、コレラといった疫病により、約100万人が死亡したと報告されています。それによって移民の流出が起こります。生き延びるために約100万人以上がアメリカ、カナダ、オーストラリアへ脱出したのです。その流出のために、飢饉前は約800万人いた人口が、わずか数年で約20-25%減少します。移民で使われた船は衛生環境が最悪で、目的地に着く前に多くの人が船内で命を落としたため、移民たちが乗り込んだ船は「棺桶船(Coffin Ships)と呼ばれるほどでした。

 この飢饉は、今日に至るまで大きな影響を残しています。その影響が最も顕著だったのは、 後にケネディ家をはじめとするアイリッシュ・アメリカンと呼ばれる人々のルーツとなります。やがてイリッシュの活躍は、アメリカの政治や文化に大きな足跡を残します。イギリス政府の対応への激しい怒りは、後のアイルランド独立に向けたナショナリズムの火に油を注ぐこととなりました。これがいわゆるアイルランド独立運動: です。

 飢饉で亡くなったり移民したりした層はアイルランド語(ゲール語)の話し手だったため、英語化が急速に進む原因となります。現在でもアイルランドの人口は、飢饉直前の約800万人という水準には回復していません。言語の衰退は、アイルランド人のアイデンティティに深く刻まれた傷跡となったのです。

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